「女優の娘」ができるまで 1
女優という言葉の異様さに気づいたのは、20年近く前、ドラマ「空から降る一億の星」のパブリシティかなにかで、共演の深津絵里をさし、「目がとてもきれいで、優れた女と書いて女優という言葉の意味が彼女を見ているとよくわかる」とキムタクがインタビューに答えていたのを読んだときだ。キムタクのことはどちらかというと好きなほうだし、深津絵里は素晴らしい俳優だと思うが、えぐいな、と思ったのをよくおぼえている。少し前に騒がれていた「上級国民」という言葉の持つギョッとするような残酷な響きを耳にしたときのかんじに似てたかもしれない。女には階級がある、ということをたった一言で端的にあらわした言葉。
女優という言葉単体でもきついのに、「女優の娘(優れた女と良い女。生まれた時点で序列が決まってしまっている)」って文字面はよりえぐいなとなにかのときにふと思い、ちょうどシャルロット・ゲンズブールが「ニンフォマニアック」に出たりなんかしてる時期とも重なり、両親がどちらも世界的に有名な芸術家や俳優だったりして、しかも少女時代に父親の手によってロリータアイコンにまつりあげられたりなんかして、この人も大変だったなあとか思った記憶がある。そんでこのゲンズブール親子みたいなのを日本を舞台にして書いてみたいなと思ったのが小説の種になった。
そこから女優に関する本や映画を観たり読んだりしているうちに、マリリン・モンローという俳優になんていうか一目惚れしてしまったのだった。いやいやもちろんマリリン・モンローぐらい知ってるよバカヤロウなんだけど、それまで写真とかではよく見かけていたけど、お色気ブロンド美女というイメージが先行し、あんまり興味ないなと思ってスルーしていたのを、いや実際に映画観てびっくりしましたよね、白黒なのに、そこだけ光って見えたから。
マリリン・モンローのことを調べれば調べるほど、評伝なんか読んじゃったらもうダメで、ひとりの聡明な女性を「セックスシンボル」という幻想に押し込めて好き放題に消費する男性主導のショウビズ界のおぞましさに、えぐいとかそんな言葉じゃ足りないぐらいゲーーってなって、そういうあれやこれやで、「和製マリリモンローの物語を娘の視点で語る」というコンセプトができあがったわけです(ゲンズブールどこいった)(それはそれで面白いモチーフだからいつか書けたらね)
実際に書きはじめたのは2017年ごろで、種を蒔いてからのタイムラグがまあまああるんだけど、これはいつものこと。小説の種が自分の中に植えつけられて、なんとなくそれと似通ったテーマの作品を見たり読んだりしてるうちになんとなく醸成されていくものがあって、まだちゃんとしたストーリーにもなってないんだけど、キャラとか設定とかはふわふわと芽吹きはじめる。
その前にどの出版社で書くか、どの編集者と書くかって話なんだけど、それは打ち合わせで決まリます。長くなりそうなのでまた次回。
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