あわのような想念

小説を書いていると、とにかくたくさんメモをとる。アナログでもデジタルでもとにかくたくさんメモをとる。俗にいう創作メモというやつである。

毎日食べたものや観たり読んだりしたものをかんたんに書き留めておくノートがあって、ほかになんにも書くものがないときはそこにメモしたりもするが、創作用のノートもちゃんとある。でも何冊もあるからとっちらかっている。あれ、あの作品のメモはどっちに書いたっけ、みたいなことがしょっちゅうある。

最近Evernoteがめっちゃ商売っけを出してくるようになったからデジタルはiPhoneのメモをメインで使っているが、パソコンと同期させる方法がわからずに自分に自分へメールを送るという形で転送している。そろそろ同期させたほうがいいかもしれない。デジタルでもアナログでもあちこちにメモを書き散らしているせいで、小説を書き終わってから、肝心の大事な台詞がひょっこり出てきたりして、ありゃーとなったりもする(それでどうやって書き終えたんだろう)(大事な台詞がすべてアドリブだとかいうハイローみたいな状態になっている)。

メモの中にはそのまま小説に使えるような台詞やフレーズもたくさん書き込まれているのだが、その作品を端的に要約するようなもの、テーマをずばりあらわすようなもの、「のようなかんじ」を記したものもあって、そういうのはあたりまえだけど、小説の中には直接書き込めないから、書き終わると同時に葬り去られてしまう。小説が一冊にまとまって、新刊インタビューなどで話すこともあるかもしれないが、そのころには新しい小説のことで頭がいっぱいで、自分でも忘れていることも多い。新刊が出てもインタビューもなにもなくて話す機会さえ得られない場合だってある(すごくよくある)。

だから、そういうことを書き留めておく場所があってもいいかなと思った。

ちょうどいま書いている「あわのまにまに」という連作小説で、長い時間の中で忘れ去られてしまったもの、隠されて見えないようにされてしまったもの、記憶の奥深くに追いやってしまったものなどが、ふいにぷかりと浮かびあがってきてすぐさま消えていく、その儚さみたいなものを書きたくてやっていて(うまくできているかはさておき)、「あわのまにまに」のおそらく作中には使われないであろうメモのなかに「あわのような想念」と書かれているのだが、創作についての「あわのような想念」もちゃんと糸でつなぎ留めておきたいなと思ったのだった。


それから、世の中には小説家による作家志望のための小説作法的な本はたくさんあるんだけれども、どのような形で依頼がきて、どのように発想し、どのような形でその小説が書かれることになったのか、具体的に詳細が書かれたものを読んだことがあまりなくて、それってジャンルや作家や編集者によってさまざまだとは思うんだけど、そういうものがあったら「新人作家の歩き方」の役割をちょっとだけ担えるんじゃないか、と思ったのもある。

中間小説の場合、デビュー作がデビュー版元以外の編集者の目に留まると、「まずはうちの文芸誌で短編を」と依頼がくるパターンが多いんだが、なんでもいいからそのとき思いついた短編を書いたりすると、「では次はその短編をもとに連作を」という依頼がやってきたりする。これは日本の文芸業界あるあるみたいなもんだけど、デビューしたばかりのころはそんなこと知るわけないから、あとでひいひい言うはめになる。もちろんそこからどれだけのものを構築できるか、腕を試されてるっていう見方もできるけど、きょうび文芸業界もそんな余裕ないから、一冊で使い捨てにされてしまう作家もめちゃくちゃ多いんだろうと思う。とか言ってるわたしだって、明日は我が身なんだけど、情報やハウツーさえ共有できれば多少は避けられる悲劇なんじゃないかと思ったりもするのだ。


そんなわけでブログをはじめてみたわけだけど、もしかしたら続かないかもしれない。新刊が出るときだけ、告知代わりに記事を書いたりするかもしれない。なんにしても、原稿以外の文章を書く場所があってもいいかなという気分がある。短く端的にまとめるということが苦手なので、1000字ぐらいのエッセイを書くと、その3倍ぐらい書きたいことがあふれてきてしまうことがある。Twitterではそもそも書くのをあきらめてしまうこともある。ちょうどまたエッセイの連載もはじまるし、そこからはみ出してしまったことについても書けたらいいなと思うが書かないかもしれない。




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